25.2012
『オナラするロボット・TITAN』 人工物がアートになるとき

今回の主役はロボットです。
ロボットと言えば、ガンダム、鉄腕アトム、鉄人28号など思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。
しかし今回は、アニメや架空の話しではなく、私たちの暮らしの中にある、リアルなロボットについて考えてみたいと思います。
実際に私たちが目にすることができるロボットとして、最も身近なものは「産業ロボット」です。
単純作業を迅速に、的確に、そして大量に作る産業用ロボットは、私たちの環境にも溶け込んでいます。
人間の労働力を肩代わりする、なくてはならない存在です。
もう一つのパターンは、人間の補助を目的としたロボット。
例えば介護や医療などで、人の手ではできないような細かい作業や、弱まった人体の部分を補うなどの、サポートロボットです。
手術訓練用のロボットなども、これに当てはまります。
両者に共通しているのは、人間の利便性を担う、いわば人間の代替としてのロボットです。
今回ご紹介する映像は、産業ロボットでも、補助ロボットでもなく、ひとつの個性を持った、もしくは持っているかのように見える、非常にユニークなロボットです。
名前は『TITAN(タイタン)』。
日本のASIMOと比べても、TITANは完全にエンターテイメントに特化しています。
(プログラムによっては、他の使い道もありそうですが)
普通の人であれば、ロボットがオナラをすることに、何の生産性も感じないはずです。
ロボットがシャボン玉を吹き、歌を歌い、水を放射し、ゲップをする。
もし企画段階であれば、最新テクノロジーの浪費とまで言われかねない内容です。
しかし実際は、そのロボットの周りに多くの人が集まり、大きなインパクトを与え、経済効果を生んでいることが分ります。
「ロボットは人間の役に立たなければならない」という固定観念を見事に打ち砕く映像です。
歌を歌ったり、歩いたりすることは、人間に置き換えたら普通のこと。
ゲップや放屁にいたっては、それこそ人体のエラーであるかのように忌避されます。
こうしたすべてが、ことロボットになると、なぜか注目に値する要素になる。
この現象は、極めて重要な問題を示唆しています。
数年前、ジブリのドキュメンタリー見ていたときに、高畑勲先生が次のようなことを仰っていました。
「アニメーションの快楽は、アニメの中の人間が、本当の人間と同じように動くことそのものにある」
目からウロコの言葉です。
たしかに、どのようなアニメでも、そのアニメーション自体が稚拙であれば見る気は起きません。
評価の高いアニメは、おしなべて動きそのもののクオリティが高い。
上記の言葉をもっと普遍的に捉えるならば、「人工物が生物的であること、それ自体が快楽である」と言えるでしょう。
『TITAN』は、まさしくこの快楽を突いているのです。
この観点から、別の『TITAN』の映像を見てみましょう。
こうした快楽は、人間の「生殖=複製」という本能に根差しているように思えます。
本能だからこそ、快楽が生じる。
これは作品を「生む/産む」という言葉が明示しているように、絵画・彫刻・建築など、アートの分野にも同じことが言えます。
あらゆるアートは、少なからずこの根から養分を得ているのです。
ロダンも次のように述べています。
「芸術とは自然が人間に映ったものである。肝腎な事は鏡をみがく事だ」
次回以降、「絵画と写真の違い」や「写実主義の快楽」など、今回の内容を踏まえたテーマも考察していきます。
(更新は不定期になりますので、よろしければfacebookやRSSなどに登録して更新情報をチェックしてみてください)
お楽しみに!
@bigakukenkyujoさんをフォロー
関連記事
『ロダンの言葉抄』 近代彫刻の父からの遺言
人形と彫刻の違い
『日本の陶器 なぜ歪ませるのか?②』 人工と自然の対極性
『現代美術とは何か』 モダン・アートの誤植

ペーパーレス化にご協力頂ければ幸いです。納品書・領収書が必要な場合は、備考欄にお書き添えください。