06.2014
『ロベルト・フェッリの牢獄』 最後の歪んだ真珠
『San Sebastiano』Roberto Ferri
輝かしく、険しい、峻厳な肉体である。
深い地中から掘り出したばかりの原石のような、鮮烈な若さと、荒々しい激情の全てが詰まった肉体。
右の僧帽筋から三角筋にかけてのこわばり、よじれた腹筋、そして大きく反対側に投げ出された右足。
頭上から落ちる光が、それらを截然たる陰翳で刻みつけている。
モチーフとなっているのは『聖セバスティアヌス』。
古代ローマの軍人だったが、禁止されていたキリスト教を布教し、矢で射られて殉教した聖人である。通常、聖セバスティアヌスの絵は、縛められ、矢で穿たれた姿で描かれるが、この絵にはどこにも矢が存在しない。
聖人は、まるで古代の祭儀に使用するかのような、繊細な装飾をほどこされた刑架にもたれかかっている。縛めとなっているのは、おそらくは右足を貫いているであろう一本の杭である。極度に緊張した右足。その痛苦は全身にみなぎり渡り、限界まで引き絞られた弓弦のごとく、その身を撓(たわ)ませている。
だが目ざとい鑑賞者であれば、中心となる力点は右足ではないことに気がつくだろう。
力点は、あきらかに下腹部にある。
見えざる矢が、ここに刺さっている。
目を凝らしてほしい。
頭上の光が、刑架の影を、殺風景な牢獄の壁に刻みつけているのを。その影が、彼の左腕の関節と腹斜筋の陰翳に連なり、一本の黒い矢となっているのを。
矢は、彼の下腹部に食い入った。
この聖セバスティアヌスは、それ自体が美しい弓矢なのである。
そして、彼の表情が濃い影の内に隠されることで、我々の目は否応なく肉体に注がれ、肉体の放つ沈黙の激情が、悲鳴のごとき弓音が、網膜で響き渡るのを聴くのだ。
このエロスの塊を描いたのは、イタリアの画家、ロベルト・フェッリ(Roberto Ferri)。
彼はバロック期の巨匠ではない。現代に生きる、若き画家である。

『Le delizie infrante』Roberto Ferri
『Angelo prigione』Roberto Ferri

『De Profundis Clamavi trittico』Roberto Ferri
1978年、イタリアのタラントで生まれたロベルト・フェッリは、地元の美術高校を卒業後、古代絵画、バロック期、19世紀後半の絵画を研究し、美術アカデミーを優秀な成績で卒業した。特にカラヴァッジョの絵画と、その追随者たちに多大な影響を受けている。冒頭の聖セバスティアヌスのポーズにも、カラヴァッジョの『キリストの鞭打ち』の影響が見て取れる。
フェッリは、肉体の画家である。
古典的・伝統的スタイルに則りつつ、隆々たる輝かしい肉体を、バロック的エモーショナルを込めて描く。
その肉体をまとった人物の多くは、絵の中で「拘束」される。
まるで絵の世界に閉じ込めようとするかのように。
私は以前Twitterで、「肉体の拘束は、精神を解放する」という意味のことを述べた。グイド・レーニの『聖セバスチャン』など、天を仰ぐその眼差しを見れば、精神を天上へ、すなわち神のもとへと飛翔させているのが分かる。もっと分かりやすく言えば、投獄された囚人が、その魂を常に鉄格子の外へとさまよわせていることに近い。
自由を奪う拘束が、逆に無上の自由へと転換していくのだ。
だがフェッリの絵には、こうした精神の解放は希薄である。むしろ精神を肉体に封じ込めようとしているように思える。だからこそ、内面を外部に発する「顔」が描かれていなかったり、自由の象徴でもある「有翼」のモチーフに枷を嵌めているのだろう。
その存在全てを絵の中に幽閉するために。
また、男に憑りつき、その美しい肉体を苛むスフィンクスやニンフなどのファムファタールもよく登場するが、これは画家の使い魔であり、牢獄を見張る番人と言えよう。

『Salmace e ermafrodito』Roberto Ferri
『Eros Anteros』Roberto Ferri

『Teatro della Crudelta』Roberto Ferri
フェッリの絵には、現代的な要素は極めて少ない。
バロックとロマン主義と象徴主義を一直線に結んだかのような作風だ。
モダニズム、前衛絵画の敵対者といってもよいほどに、徹底して反時代的である。
冒頭の聖セバスティアヌスも同様、そこにはなんら現代性も意味の刷新もなく、巨匠たちに倣い、ただ新たな描写を成し遂げているに過ぎない。
しかし、なぜこんなにも我々の目をとらえて放さないのだろうか。
おそらく、時代は古典への回帰をはじめているのだ。
21世紀の芸術は、テクノロジーを中心として展開されるだろう。そしてテクノロジーの進化に伴い、反作用としての古典回帰が生まれるに違いない。その兆候はすでに散見される。
バーチャル空間が広がるにつれて、対極にある身体への回帰も生じるだろう。舞踏家・最上和子氏の言葉を借りるならば「可能性の沃野」の開拓が始まる。
ロベルト・フェッリの牢獄は、時代の流れから隔絶した場所にある。
頑ななまでの反時代性。
画家は知っているのだ。
もはや形骸となった神話の神々を、伝説上の人物を、忘れかけた肉体美を、現代に生かすためには、時の流れから隔離しなければならないことを。
こうして画家は、戦慄すべき牢(ひとや)を設けた。
神々は次々に投獄され、時には美しい拷問器具に苛まれ、時には怪物に引き裂かれる。
責め苛まれながら、肉体の痛み、沈黙の叫びをもって、その存在を証明し続けているのだ。
ロベルト・フェッリは、現代アートの極右に位置する。
最後の歪んだ真珠である。

『REQUIEM』Roberto Ferri

『SFINGE』Roberto Ferri

『Facilis Descensus Averno』Roberto Ferri

『LUCIFERO』Roberto Ferri

『SALOME』Roberto Ferri

『Salmance e ermafrodito I』Roberto Ferri

『La nascita dell'eclissi』Roberto Ferri

『IL SEPOLCRO DEGLI AMANTI』Roberto Ferri

『Angelo Prigione』Roberto Ferri
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関連サイト
ロベルト・フェッリHP
http://www.robertoferri.net/
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