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27.2014

『性と死の二元的身体論』 エロスとタナトスのジェンダー

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美青年_彫刻_死
『Death of Abel』Vincent Emile Feugere des Fortes,1855

「男はなぜ、壮烈な死によってだけ美と関わるのであろうか」

これは三島由紀夫の『太陽と鉄』の中の一文だ。
三島由紀夫後年の、ほとんど三昧境に達したかのごとき文体で描かれ、丸山応挙の『氷図』を思わせる大胆闊達な、それでいて計算し尽くされた恐るべき筆致で、肉体と精神の二元論を結ぶ統一原理へと上り詰めていく。
今あらためて『太陽と鉄』をめくってみると、昔の自分の手により、先の一文にピンクの蛍光ペンで二重にマークがつけられていた。
この言い回しは非常に巧妙で、すでに男が「死によってだけ美と関わる」ことが前提とされ、そのまま鉈の如き筆致でずいずいと論題を切り拓き、最終的には高度2000メートルの高みから地上を見渡すところまで引き連れていく。それにしても、私を惹きつけたのは、あの一文である。「なぜ男は死によってのみ美と関わるのか」。今回の記事で、この問いについて考えてみたい。

肉体の美というものに、最も古くから、最も真摯に向き合ってきた民族は、古代ギリシア人をおいてほかにいない。現代ではエクササイズを行う施設を「ジム(gym)」と呼ぶが、この由来となったのは、古代ギリシアにおける公共の訓練場所「ギュムナシオン(gymnasion)」だ。ギリシアの男たちは、18歳以上になるとここで身体を鍛え、互いの肉体美を観賞し合った。
「ギュムナシオン」という言葉は、ギリシア語の「裸(ギュムノス)」を由来とする。さらにこの場所は肉体の鍛錬場にとどまらず、哲学の場でもあり、文学や音楽の講義・議論も行われた。ここに「筋肉」と「理知」との輝かしい倫理的一致がみられる。
以上のことから浮かび上がる重要な点は、男の肉体美というものは、学問的教養と同じく、修業によって身につけるものだということだ。男性が美しくなるためには、必ず努力を要し、その努力は絶対に裏切らない。男の筋肉はダンベルを持ち上げた回数で決まる。すなわち、男の美は、その身に受けた苦しみに比例するのだ。

美青年_彫刻_死
古代ギリシア時代のスパルタ軍の「テルモピュライの戦い」を描いた映画『300』のワンシーン

ひるがえって女性の身体はどうだろうか。
重いダンベルを持ち上げればあげるほど、美しくなるような機構には造られていない。美術史において女性の身体美は、太古には巨大な乳房と臀部であり、中世以降は豊満な肉体と透き通る肌であり、現代にいたっては今にも折れそうな華奢な体躯である。時代と共に、女性の美の規範は変化してきた。そしてその身体は、いつでも衣で隠されてきた。西洋美術史における女性のヌードは、古典神話を題材にしたものしか許されないほど禁忌であり、近代までスカートから足首が見えるだけでも卑猥とされてきた(だからこそ画家のイマジネーションを刺激するのだが)。男の筋肉が「見せつける」ものであることに比べ、女性の身体は「隠される」ものである。男性の肉体が「陽」であるならば、女性の身体は「陰」と言えよう。

男女双方の身体美を見たところで、その究極の地平としての「エロティシズム」を探ってみたい。
まずは女性だ。なぜ女性の身体はひたすら隠されてきたのか。そこには「性」に対するキリスト教的な「罪」の意識がある。思想家ジョルジュ・バタイユは、この罪の枠を「禁止」と呼び、それを破って侵犯することで、エロティシズムの領域に至ると説いている。日本においては「罪」を「恥」と言い換えれば(少なからず意味は変わるが)わかりやすいだろう。ムスリムの女性の全身を覆う服装などに顕著なように、女性の肌はいまだにエロティシズムの領域なのだ。
こう見ると、女性の身体において「禁止の侵犯」が発動するのは、その衣服をはぎ取った時と言えるだろう。裸の状態では、自己と世界が直接触れあっている。エロティシズムの本義が、自他の区別を超える一元論であるならば、自己と世界を隔てる衣服を脱ぎ捨てて裸になることで、エロティシズムの領域との交流が起こる。バタイユに倣えば「コミュニカシオン(交流)」だ。こうなったときに、はじめて身体はエロティックになる。美術モチーフの中心にヌードが位置するのも当然のことだ。女性の美の究極は「裸」から生じる。

ドミニクアングル_トルコ風呂_美
『トルコ風呂』ジャン=オーギュスト=ドミニク・アングル,1863

さて、こうした女性の身体美をそのまま男性の肉体美に置換できないことは、ここまでの内容から予測されることだろう。たとえ同じ裸体であったとしても、女性の裸と男性のそれは、同じレベルの交流状態ではない。大きな隔たりがある。例えばテレビや漫画などで、男が裸をさらす際は、ほとんどが笑いをともなっていないだろうか。笑いを取るために裸になるお笑い芸人などは、すぐに思い出せる方も多いだろう。先だって男の肉体は「陽」であると述べた通り、男の裸は笑いを誘発する。男の裸体は、喜劇的なのだ。
女性の場合は、これとは逆である。それは悲壮感をともなって出現する。決して喜劇にはなりえない。非常にパセティックなものであり、映画などで女優が脱ぐ際は、その悲劇的な力が作品の強度を支えることも少なくない。エロティシズムが包含する悲劇性は、女性においては裸体の状態でスイッチが入るが、男性においては、裸になるだけではまだ次元が完全には切り替わらないのだ。ではどうすればよいのか。先述の考察に従うならば、男の肉体は苦しめば苦しむほど美しくなるのであるから、苦しみを加える必要がある。こうして聖セバスチャンの肉体には矢が、キリストの肉体には十字架と杭が、ラオコーンの肉体には巨大な蛇が締め付けることになる。ヒュアキントスもナルシスもイカロスも同様だ。苦しみのさなかで男の肉体の美は鈍い光を放ちだす。男にとって肉体の危機こそが、エロティシズムを駆動するのだ。

グイド・レーニ_聖セバスチャン
『St Sebastian』Guido Reni,1630s

男性の肉体美といえばミケランジェロの『ダビデ像』を思い浮かべる人も多いだろう。言うまでもなく、この彫刻にも危機が充満している。ダビデが左手で肩にかけているのは「投石器」であり、ペリシテ人との戦争に赴き、身長約3メートルの巨人ゴリアテと対戦し、打ち取る物語が込められている。
古代ギリシア彫刻の傑作『円盤投(ディスコボロス)』も同様だ。古代オリンピックにおいては、娯楽的な種目は存在しない。いずれも戦闘と結びついたものであり、女人禁制で、その勇壮な肉体の運動の蕩尽は神々にささげられた。目突き、噛付き以外何でも許された総合格闘技「パンクラチオン」は、古代オリンピックの花形であり、プラトンをして「不完全なレスリングと不完全なボクシングがひとつとなった競技である」と言わしめている。(個人的にはもう少し安全性を考慮した上で、パンクラチオンの五輪種目復活を願っている)。ここで言いたいことは、男の輝かしい肉体は、つねにそれ自身の超克を志向し、超克することで初めて悲劇的な次元へ到達するということだ。男の肉体は、その受苦に比例してたくましくなるのであり、危機に瀕してますます耀く。そして、受苦の極限、危機の中心にあるものこそ「死」に他ならない。

さて、以上のことから、冒頭の問題「なぜ男は死によってのみ美と関わるのか」の答えが導き出される。
女性の身体の美は、裸の状態において最も高純度に耀くのに対し、男の美は裸の状態ではまだ熟さず、その身を死にさらすことによってはじめて美しく結晶する。それは刀の鍛造に似ている。赤く熱した鉄の塊を、打ち叩き、打ち叩き、鍛えぬく。そして最後に冷水につけることで、その輝ける刀身は完成する。三島由紀夫の切腹は、まさしくこうした審美的観点からなされた。詳しくは『三島由紀夫の死における悲劇性論考』を参照されたい。

三島由紀夫_聖セバスチャン_篠山紀信
「聖セバスチャンに扮する三島由紀夫」by 篠山紀信

今回の記事では、男女の身体の相違点を、「性」と「死」に分けて考察した。三島由紀夫の身体論と深くつながった内容であり、『太陽と鉄』の補遺として見ることもできるかもしれない。またジョルジュ・バタイユの思想を理解する上でも参考になるだろう。今後の記事やそれ以前の記事を理解する上でも重要な内容になっている。例えば暴力についてもそうだが、単純な好悪で言わせてもらえば、女性の被虐的作品は好まない。それは砂糖を入れ過ぎた甘ったるいケーキと同じように、過剰なエロティシズムであり、多くの場合美を損なう結果に終わる。エロスとタナトスの関係性は、ただ残虐であれば何でもよいといった浅はかなものではないのだ。

現在、当研究所では美に特化した文芸誌の創刊に向けて動いている。昨年から記事が滞りがちなのも、少なからずこれが影響している。今回の記事のテーマは、この文芸誌用として考えていたが、ある舞踏家から寄稿して頂いた身体論があまりに素晴らしかったため、出る幕はないと思いこちらで発表することにした。創刊までもう少しなので、ぜひ楽しみにしておいてほしい。



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