29.2014
『少年たち~天正遣欧使節、海へ!~』 カトリシズムを剥離させた日本的平和希求

天正遣欧少年使節の来訪を伝える印刷物、1586年(京都大学図書館蔵)
2014年2月、江戸期の豊後地方(現大分県)のキリシタン関係史料約1万点余りが、カトリックの総本山バチカンの図書館で見つかったというニュースが報道された。戦前戦後にかけて大分県を拠点に活動していたイタリア人神父が蒐集したもので、未整理のまま所蔵されているとのことだ。これほど大規模なキリシタン関連史料の発見は前代未聞であり、日本とバチカンで共同研究し、データベース化を進め、インターネットでの公開を目指している。
翌3月、今度はローマに遣わされた4名のキリシタン少年「天正遣欧少年使節」の伊東マンショのものとみられる肖像画が、イタリアで見つかったとのニュースが一斉に報道された。調査にあたった北部ミラノのトリブルツィオ財団の担当者が発表した論文によると、絵の裏面には「Mansio」と記され、1585年にマンショ一行が北部ヴェネツィアを訪れた際、ヴェネツィア派画壇の巨匠ティントレットの息子、ドメニコ・ティントレットが描いたものと断定した。

伊東マンショのものとみられる肖像画。(トリブルツィオ財団提供・共同)
そして、このニュースのわずか2日後、3月22日(土)にキリシタンの地で名高い大分県にて、天正遣欧少年使節をモチーフにしたミュージカル『少年たち~天正遣欧使節、海へ!~』が公演された。偶然と呼ぶにはあまりに整然と並んだ三連星。ユングであればシンクロニシティと呼ぶに違いないこの配列は、一体何を意味するのだろうか。東の空の星に兆しを認め、キリスト誕生に駆けつけた三方博士よろしく、私は東京から大分まで舞台を観に旅立った。

Photo by 後藤”Gori”英彦(101studio)
ミュージカルの開催場所「ホルトホール大分」は、複合文化交流を目的として、2013年にオープンしたばかりの真新しい市民ホールである。大分駅から徒歩2分、床面積38,400m²の大型施設で、市の中心的な役割を期待されている。ホールには小ホールと、1,201人を収容できる3層客席の大ホールとがあり、今回のミュージカル『少年たち~天正遣欧使節、海へ!~』は、後者で公演された。キャストは公募で選ばれた市民41名で構成され、約5ヵ月間にわたってプロの指導を受けた。ホルトホール開館を記念して結成された市民ミュージカルの初演である。

Photo by 後藤”Gori”英彦(101studio)
――天正遣欧少年使節。
なんと美しい響きだろう。この言葉の響きには、青春と大海原と未知の世界が約束され、無限のロマンが凝結している。
彼らが日本を発ったのが1582年2月20日、帰国は1590年7月21日、約8年半におよぶ長旅だった。当時の航海は命がけであることは言うまでもない。行の船だけで3年近くかかり、船員30名を超す死者が出ていた。厳しい航海を終え、目的地のローマに辿りついてからは事態は一転、ジパングの王の遣いということで接待三昧の生活を送る。山場はグレゴリウス13世への謁見、シクストゥス5世の戴冠式列席くらいで、意外とドラマ性がない。辿りついたローマは彼らにとっての「約束の地」であり終点なのだから当然と言えるが、シナリオとしては、ローマに辿りつく前の段階にしかドラマを用意できないことになる。さらに言ってしまえば、少年たちの旅は、終始ヴァリニャーノ神父やその他大勢の大人たちの厚い庇護のもとに達成されている。これをそのまま描いてはハリウッドなどのシナリオメソッドでも徹底される、冒険譚には不可欠な要素「主体的に行動する主人公」という像が描けない。また、ドラマの観点から見れば、少年たちが帰国した後、旅の途上でキリシタン追放令がだされ、迫害を受けて離散し、ついには殉教者まで出す過程の方が断然エキサイティングだが、この悲惨な迫害を舞台化するには、ファミリー層も多く訪れるであろう市民ミュージカルという形式には適切ではない。容易く舞台化できそうに見えて、なかなか一筋縄ではいかない題材だ。
演出家はこれをどのように調理したのか、その手腕は鮮やかだった。まずセミナリオの学生の中から四名の少年、伊藤マンショ、千路石ミゲル、中浦ジュリアン、原マルチノが選ばれる。喜ぶ四名に対し、ヴァリニャーノ神父は、旅路を想定した劇を作れと命じる。この劇を作るにあたって、大人たちは手を貸さない。その内容を見て、君たちが過酷な旅に耐えられるのか、ローマ教皇に謁見する資格があるのか判断するというのだ。こうして少年たちの、空想に満ちた、破天荒な、活き活きとした冒険活劇が幕を開ける。「劇中劇」にすることで、2時間という制約の中に、少年たちの冒険と、日本と西洋、日本人とキリスト教というエスキースを全て描きこんだのだ。

Photo by 後藤”Gori”英彦(101studio)
この題材は史実である以上、どのような結果が少年たちに訪れるのかすでに分かっている。それゆえ「結果」に焦点を絞る必要はない。映画『ゼログラビティ』などは、「どう成るのか」という結果への期待が推進力になっているが、結果が分かっている題材では、別のベクトル、すなわち「どう在るのか」が最大の要点になる。これはキリスト教においても非常に重要な点だ。この地上は悪魔サタンが支配する場所であり、様々な迫害と誘惑で人々を悪の道へ引きずり込もうとしている。これがクリスチャンの視点であり、彼らはあらゆる局面において神の意志に適った行動、すなわち「どう在るのか」が求められるのだ。この点を検証するために、3つのプロットが用意される。それぞれモーセの十戒の主要な禁止項目「汝殺すなかれ」「汝姦淫するなかれ」「汝盗むなかれ」に符号させ、少年たちが自ら考え、行動を起こして問題をクリアする過程が描かれる。
演出に関しては、ディズニー的コメディタッチで、どの年齢層が見ても楽しめるミュージカルになっている。やろうと思えばもっとまじめな教育劇のようにもできただろうが、かなりの冒険に踏み切っているという印象を抱いた。海上、インドのゴア、セントヘレナ島など、使節が実際にわたった航路に沿って物語が展開する。ここに少年たちの空想が加味され、それぞれ竜宮城や鬼ヶ島など日本の民話と融合した形で提示される。繰り返しになるが、このミュージカルは空想的で破天荒な設定の中で、現実的な選択を迫られた少年たちが、神に忠実に、平和の道を選び抜くことができるかどうかが焦点だ。いずれも目前に死が用意された極限的状況が設定されているため、少年たちの決断の延長線には、必ず「殉教」が控えていることになる。少年たちが自らの命に代えても信仰を守ると決めた時、奇跡的に助けられるのが3つのプロットに共通した流れだ。こうして書くと、はちゃめちゃでご都合主義に思えるだろうが、軽妙なセリフ回しや要所要所に挿入される音楽、劇と劇中劇との視点の切り替えなどにより舞台にグルーヴが生まれ、一種の「ノリ」となって進行するため、ツッコミどころをそのままにぐいぐいと物語に引き込まれていく。はちゃめちゃに見えて、その実計算された演出だと感じた。

Photo by 後藤”Gori”英彦(101studio)
個人的に面白かったのは、「汝姦淫するなかれ」に符合する、インドのゴアと竜宮城が空想によって結びつけられた幕だ。ここでは竜宮城の姫として、聖書中の人物・サロメ姫が妖艶に登場する。マンショに接吻を求めるサロメは、キリスト教徒を姦淫の道に引きずり込もうとする魔性の女であり、オスカー・ワイルドの戯曲『サロメ』を下敷きとするファム・ファタールである。サロメはマンショを誘惑する。しかしマンショは毅然としてなびかない。業を煮やしたサロメは、ヘロデ王の求めに応じて妖艶な踊りを披露し、褒美にマンショの首を所望する。生首に接吻しようというのだ。この間、劇場はある種の緊張に包まれていた。家族連れや若年層も多い中、突如として舞台に出現したサロメの「性」の力が、観衆の不安と焦燥を呼び起こしたのだ。サロメという一つのカオスが、劇場を呑み込んだ瞬間と言えよう。
一つ明記しておかなければならないが、少年たちを演じるのは全員少女たちであるという点だ。つまり、このサロメの幕では、少女が少女を誘惑する。そこはかとなく百合の香りが漂うのは言うまでもない。市民ミュージカルにしては、異例ともいえるエロティックな場面だが、聖書の内容の引用であること、またストリップ劇場の様な過剰なピンクのライトを多用し、セクシャルなイメージを戯画化することで、その逸脱をギリギリのラインで免れていた。こんな芸当がこなせるのも、「マダム・エドワルダの人形劇」の演出でも知られる大岡淳氏が、当ミュージカルの脚本・演出を手がけているからに他ならない。この劇は、海面を進む船のように、常に破綻に接しながら、その上をひた走っているのだ。

Photo by 後藤”Gori”英彦(101studio)
インドのゴアを出港した船は、アフリカ大陸へ向かい、喜望峰を通過してセントヘレナ島に辿りつく。日本の少年たちの奔放な想像力は、この場所をキリスト教徒に平定された「鬼ヶ島」として描き出す。だがここには、まだキリスト教徒に改宗しない鬼たちが隠れ潜んでいて、故郷を蹂躙するキリスト教徒を追い出すため、一斉に蜂起する機会をうかがっている。そこにちょうど4人の少年たちが寄港したため、彼らを人質にとり、島に闘争を勃発させる。大分の小説家・鹿地亘が訳した『ワルシャワ労働歌』を歌う鬼たちを見れば、鬼とキリスト教徒の関係は、イデオロギーの対立のメタファーであることが分かる。その中で少年たちは、自らの命と引き換えにしてでも、平和の教えを守り通そうとする。「汝殺すなかれ」に符合する最重要場面だ。
「私の知るキリスト教とは似ても似つかない」とヴァリニャーノ神父が劇中の最後でいうように、この劇に含まれているのは単純なキリスト教的教訓に留まらない。むしろ、あえて天正遣欧使節につきまとうカトリシズムを剥離させ、少年たちの純真な平和への希求をクローズアップしたように思える。歴史を振り返れば、キリスト教は決して平和のためだけにあったのではなかった。そこには神の名のもとに踏みにじられた人々の、血にまみれた歴史が横たわっている。「キリスト」の教えを真摯に考えると、「キリスト教」の歴史を否定せざるをえない。少年たちの行動は、キリスト教に汚れる前の、本来のキリストの教えにまで純化していた。それは日本人が希求する平和の在り方と見事に合致しているように思える。上演が終わった後、涙を流している人が散見されたのも、おそらくはそのためだろう。ローカライズも意識された良い作品であるから、ぜひ大分の皆さんは本作を大切に歌い継いでいってほしい。

Photo by 後藤”Gori”英彦(101studio)
さて、こうして大分まで渡った私は、一つの兆しを認めたのだった。それはキリスト教と日本を繋ぐ碇であり、それを広めんとする純白の帆である。日本人にとって関係のないものという考え、また国内の多くの入門書にあるような、ただの知識としてのキリスト教から脱し、真にキリスト教を理解する時が来ているのかもしれない。
先日の「美の巨人たち 古田織部 『燕庵』」で、茶道とキリスト教のミサとの繋がりが放映された。以前から研究はあったものの、「とんでも説」として捉えられがちだったが、少しずつ研究が進んでいる証しだろう(真偽のほどは定かでないが)。個人的には、キリスト教が日本の文化に与えた影響は、現在考えられてる以上に多大なものだと思っている。だがその教理が現代日本人の観点からは、荒唐無稽であまりにも隔たって見えるため、深く知ろうという必要性を感じないのだろう。大岡淳氏が述べているように、キリスト教が抱える「倫理的煩悶」を真に理解・共有することで、はじめてニーチェもバタイユもベケットも意味を帯びてくる。
キリスト教に目を向ける時期が来ている。当研究所でも、今後キリスト教に関する記事を進めていくつもりだ。一つ新連載を考えていて、すでにタイトルも決定している。『異教徒のためのキリスト教入門』になる予定だ。これは小説の体裁をとり、クリスチャン家庭に生まれた少年の一人称告白体で綴られる。現在、国内に流通しているキリスト教の入門書の多くは、クリスチャンではない学者や、人生の途中でキリスト教徒になった人などが書いているが、これが知識としてのキリスト教入門から抜け出せない要因の一つだと思っている。キリスト教の神は、決して「発見」される神ではない。「所与」の存在として君臨する神である。これを理解しない限り、「倫理的煩悶」の理解は困難であり、なぜニーチェは神を殺さなければならなかったのか見えてこない。この連載では、主人公の視点を通じ、読み手がキリスト教徒としての人生を追体験することで、本当の意味でキリスト教を理解できる内容にするつもりだ。また以前の記事で軽く触れた文芸誌創刊については、近日中に発表できそうだ。予想をはるかに超えた素晴らしい仕上がりになっているので、早く発表したくてウズウズしている。出帆(出版)を前にした少年たちのように。
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