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27.2012

『無惨絵・無残絵 日本文化の裏地を染める鮮血』 ギリシア悲劇との類似性 月岡芳年・落合芳幾・絵金

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月岡芳年『英名二十八衆句:直助権兵衛』無惨絵・無残絵
月岡芳年『英名二十八衆句:直助権兵衛』

目を覆うばかりの惨劇です。
上半身裸の男が相手にのしかかり、右手で顔面の皮膚を剥いでいます。
その通常ではありえない角度で捩じれた身体からは、全身に漲る獰悪な力が伝わってきます。
溢れ出る鮮血。
飛び出る眼球。
だらりと垂れた両腕。
くっきりと残った手形の跡が、二人の烈しいやりとりを物語っています。
ダイナミックな構図。
緻密に配置された文鎮・出刃包丁・薬杵などの小物類が、事件の背景までも想像させます。
酸鼻を極めるとは、まさにこのこと。
臭いすら漂ってくるような絵です。
狂いのない線と、緊密な画面構成。
それが見るものの視線を捕らえ、この血なまぐさい殺人現場から目を離せなくさせるのです。
一枚の紙の中に、時間の流れさえも凝集させるスキル。

描いたのは、最後の浮世絵師・月岡芳年。
上記の浮世絵は、「血みどろ絵師」の異名を持つ彼が、兄弟弟子の落合芳幾とともに編んだ血の連作『英名二十八衆句』の中の一作です。
その残虐性、その様式美、ともに最高のものでしょう。
奉公元の医師・中島隆碩に、薬種の横領を告発された直助権兵衛。
権兵衛はあろうことか中島一家を惨殺し、金品を奪って逃走します。
その後変名し、米屋の下男として働いていましたが、殺害時に奪った刀を質入れしたことにより足がつき、処刑されます。
この稀代の悪党は歌舞伎などの題材にもなりました。
『英名二十八衆句』自体、当時の歌舞伎のスプラッタシーンから着想を得ています。
この手の作品は「無残絵・無惨絵」と呼ばれ、谷崎潤一郎、三島由紀夫、江戸川乱歩、芥川龍之介、など多くの文人を蠱惑しました。
三島由紀夫は月岡芳年の無惨絵について、次のように述べています。

「大蘇芳年の飽くなき血の嗜慾は、有名な「英名二十八衆句」の血みどろ絵において絶頂に達するが、ここには、幕末動乱期を生き抜いてきた人間に投影した、苛烈な時代が物語られてゐる。これらには化制度以後の末期歌舞伎劇から、あとあとまでのこった招魂社の見世物にいたる、グロッタの集中的表現があり、おのれの生理と、時代の末梢神経の昂奮との幸福な一致におののく魂が見られる。それは、頽廃芸術が、あるデモーニッシュな力を包懐するにいたる唯一の隘路である」

月岡芳年『稲田九蔵新助』英名二十八衆句 無惨絵 落合芳幾:英名二十八衆句 鳥井又助 無惨絵 無残絵
左:月岡芳年『稲田九蔵新助』 右:落合芳幾『團七九郎兵衛』

幕末期の無残絵は月岡芳年・落合芳幾に焦点が当たりがちですが、もうひとり加えましょう。
絵金こと弘瀬金蔵です。
狩野派に属していた絵金は、狩野探幽の贋作を描いた嫌疑により破門され、以後主流を外れた町絵師として余生を送ります。
この驚嘆すべき絵師のことは、歌舞伎評論家の故・小田考治先生から教えていただきました。
もう五・六年前ですが、絵金蔵の元副館長(なんと20代女性!)の方にも引き合わせていただき、銀座のポーランド料理店で色々とお話を伺ったのを憶えています。
絵金が定住した高知赤岡には、「絵金祭り」と呼ばれる祭りがあります。
赤岡町須留田八幡宮の神祭と夏祭りの宵にのみ、絵金の屏風絵は蔵の中から目覚め、商店街の軒先にその鮮烈な全容をあらわすのです。
ロウソクの灯りで見る絵金には、異様な魅力があるそうです。
幽霊画と同じような「縁起物」としての側面も見落とせません。
魔をもって魔を制す。
このような効用・願望も、無惨絵に込められているのです。
この点については、『江戸昭和競作無残絵英名二十八衆句』に序文ある、荒俣宏先生の次の賛辞以上に簡潔な言葉を知りません。

「これらの絵は単なる猟奇ではないのだ。猟奇の極みに到達することで俗世の浄化を寿(ことほ)ごうという、すぐれて清明なる神事(かみごと)にほかならない」

絵金・弘瀬金蔵 【浮世柄比翼稲妻 二幕目返し 鈴が森】無残絵・無惨絵
絵金・弘瀬金蔵『浮世柄比翼稲妻 二幕目返し 鈴が森』

「無惨絵」は、ただの残酷な絵ではなく、その猟奇性の極限に達することで、陰極まって陽となるように、ある種の「ハレ」の力を宿していたことが分かります。
三島由紀夫が言った「デーモニッシュな力」とは、まさにこのことです。
さて、こうした「力」を別の観点から捉えるために、地図と時代を横断して、古代ギリシャまで飛んでみましょう。
先に結論を言ってしまえば、「無惨絵」は「ギリシア悲劇」と共通性をもつ極めて重要な芸術ジャンルと位置付けられます。
ギリシア悲劇と言えば、あの方に登場していただくしかありません。
ドイツの哲人・フリードリヒ・ニーチェ(1844-1900)。
彼が28歳で書き上げた『悲劇の誕生』は、個人的にも擦り切れるほど読んだ座右の書です。
完全無欠の古代ギリシア人が、なぜ悲劇などというペシミズム(悲観主義)を容認し、なおかつ愛したのか。
『悲劇の誕生』の序文で、ニーチェは次のように述べています。(全文赤線を引くべき内容です)

「ギリシア人とペシミズムの芸術作品? これまでの人間のうち最も上出来な、最も美しい、最も羨望される、生へ誘惑する最大の力を持った人種であるギリシア人こそ――えっ? 何をいいだすのだ! 彼らギリシア人こそ、悲劇を必要としたのだって?……ペシミズムといえば、これはかならず下降の徴候ときまっているのだろうか? ペシミズムはいやでも退廃と出来損ないのしるし、疲れ果てて弱体化した本能のしるしと決めてかからねばならぬだろうか」

「強さのペシミズムというものがあるのではないか? 生存の苛酷なもの・戦慄的なもの・邪悪なもの・問題的なものに知的偏愛をいだくということが、幸福やあふれるばかりの健康、生存の充実からくる場合があるのではないか? 過剰そのものに悩むということが、ひょっとしたらあるのではなかろうか? きわめてするどい眼差しが、自分から怖ろしいものを求めるといった、当たって砕けろ式な勇敢さをそなえている場合が、ひょっとしたらあるのではなかろうか? それは自分から敵を求めるのと同じではないか」

「醜いものに対する渇望はどこからきたのかということが、問題になってこなければならぬ。ペシミズムや悲劇的神話、生存の根底にあるすべての怖ろしいもの・邪悪なもの・謎めいたもの・破壊的なもの・不吉なものの姿かたちに対して、古代ギリシア人ははげしい好意をよせているが、それはなぜかということ、――つまり、悲劇はどこから発生せざるをえなかったのか? ひょっとしたら、悲劇は快感から生まれたのではないか? 力から、みちあふれるような健康から、ありあまる充実から発生したのではなかったか?」

落合芳幾:英名二十八衆句 佐野次郎左エ門 無惨絵 無残絵 月岡芳年『團七九郎兵衛』英名二十八衆句 無惨絵
左:落合芳幾『佐野次郎左エ門』 右:月岡芳年『團七九郎兵衛』

無惨表現が絶頂を迎える幕末という時代、西洋ではデカダンス(退廃芸術)が台頭し、世紀末のムードがうごめいていた時代です。
シャルル・ボードレールが梅毒で死んだ1967年は、日本で王政復古の大号令が出された年。
ですが、個人的には、「無惨絵」をデカダンスとしてカテゴライズする事には反対です。
物質文明がある程度の臨界点を迎えた西洋の閉塞感と、国家の存亡を揺るがす幕末日本の動乱期は、まったく異質の状況なのです。
こう言えばわかりやすいかもしれません。
衰退というよりも、狂躁。
ダウナーというよりも、アッパー(笑)
西洋と日本は対極だ、という記事をいくつか書いてきましたが、この時期は世相さえも見事に対極にあります。
そうです。
幕末期は、国家が顛覆するほどの、一種の過剰なエネルギーに満ちていたのです。
それは、古代ギリシア人の、あの漲りわたる生命力と比肩するほどのものだったはずです。
そうであるならば、古代ギリシア人が「悲劇」を求めたように、幕末期日本人が「無惨」を求めたとしてもふしぎではありません。

ニーチェは『悲劇の誕生』の中で、ギリシア芸術を「アポロン的なもの」と「ディオニュソス的なもの」に二分しました。
ディオニュソスはもともと集団的熱狂と陶酔・酩酊を伴った東方の宗教の主神です。
アテナイでのディオニュソス祭の主な内容は「悲劇の上演」でした。
さらにオルギアと呼ばれるディオニュソスのカルトの祭りは酒池肉林の狂宴で知られ、ときには動物・人間の生贄を供した血みどろの狂騒に発展しました。
「血酔い」という言葉が示唆するように、血を見ること、触れることは、一種の「快楽」であると考えられます。
民俗学では、「祭り」には日頃の生活で「抑圧」された人間性を解放する役割があるとされています。
オルギアは、それを極限まで推し進めたものと言えるでしょう。

月岡芳年:魁題百撰相 小幡助六郎信世  無残絵 無惨絵
月岡芳年『魁題百撰相:小幡助六郎信世』

人の心を歪ませるものは「抑圧」です。
「抑圧」こそが人を異常にさせるのです。
古代ギリシアのディオニュソス祭は、人間の抑圧を解放させるファクターでもありました。

侘び寂び、粋、幽玄など日本独自の繊細な美意識の背後に、「無惨絵」のような激烈な芸術がひそんでいたことを忘れてはなりません。
武士の教養ともなった「茶道」。
侘び寂びの極みである茶道の裏には、いつでも戦闘、もしくは切腹による「鮮血」があるのです。

何でもかんでも表現に規制をかける現在の風潮は文化を貧しくします。
当研究所の目的は、日本文化を豊かにし、広め、その質を高めることにあります。
いかなる規制にせよ、文化を衰退させるものには反対であることを明記しておきます。

PS
無惨絵の血脈は現代に受け継がれています。
詳細については、またいずれ。



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