31.2011
ジョゼフ・コーネルの箱 失われた時を求めて

懐かしいような、切ないような、ふしぎな気持ちがこみ上げてくる作品です。
今年最後の記事は、このふしぎな箱を生涯にわたって作りつづけたジョゼフ・コーネル(1903-1972)について。
学問は比較と分類によって成り立っていますが、他の絵画や立体作品と比べたとき、コーネルの作品を特徴づけるものは非常に明快です。
・すべての作品が「箱」に収められていること。
・極力加工を抑えた素材が「コラージュ」の方法で配置されていること。
上記の二項を中心にコーネル作品の本質に迫ることが、今回の研究課題です。
まず第一、なぜ「箱」なのか。

コーネルの作品を見ていて「郷愁」「切なさ」を感じるとするなら、私たちが失ってしまった何かが箱の中に収められているに違いありません。
しかし、箱の中にある物は、コップ、貝殻、ボール、釘、または図鑑から切り取った絵など、ほとんどガラクタと言ってもいいようなものばかりです。
幼少期に一度くらいは集めたことがあっても、成長に伴って誰もが捨て去ったガラクタ。
どうやら私たちが失くしたものは、箱の中に収められた「物質」ではないようです。
では、何を失くしたのか。
それこそは、その物体の本質、つまり「存在の意味」に他なりません。
想い出してください。
幼い頃を。
一日中飽かずに眺めていたガラスのコップ。
様々に姿を変える天井の木目。
釘の形、その重さ、その匂い。
鳥。煉瓦。カード。ビー玉。ハーモニカ。
砂の感触。貝殻。サンダル。ゴム風船。
草いきれ。蟻。枝。木の実。雨の音……
そのどれもが謎に充ちていた世界。
今では当たり前のこの世界も、幼い頃には、未知の、不可思議の、魅惑と冒険に充ちた世界だったはずです。
今ではありきたりな物も、無限の意味と無限の世界に繋がった秘宝でした。
だからこそ、私たちはそれを飽かずに眺め、それを拾い、秘密の宝箱に大切に収めていたはずなのに、いつの頃からか、ただのガラクタにしか見えなくなり、捨て去ってしまいました。
大人たちは成長の証しだと言って褒めてくれます。
私たちが夢中になって集めた物は、どれも“役に立たないもの”だからです。
こうして私たちは“役に立つもの”という実利性・合理性を追い求める人生へとまっしぐらに進んで行きます。
胸の内の、拭いがたい空虚感に目をそらしたまま。

あの幼い頃、コップは、ただの「コップ」ではありませんでした。
釘は「釘」ではなく、鳥は「鳥」ではなかったはずです。
胸が苦しくなるほどの感動をもってそれらを見ていました。
すべては「神秘」に繋がっていた、あの世界。
すなわち「詩」の世界に私たちはいたのです。
「詩」は事物の「意味」を改編する作業です。
なぜなら、言葉は「意味」そのものだからです。


コーネルの作品には時間が流れていません。
それはなぜか。
幼い頃の世界を封じ込めるためです。
あの世界を封じ込めるためには、時間は流れてはならないのです。
私たちが「詩の世界・神秘の世界」を喪失した理由は、「時間の経過」に他ならないからです。
さて、どうしても「あの世界」を再現したい、「あの世界」の一端に触れたい、そう思ったときどうすればいいのでしょうか。
すでに身の回りのものは神秘を失っています。
もはやコップはコップでしかなく、釘は釘であり、それ以上でも以下でもなく、感動はありません。
頼るよすがは「記憶」のみです。
ですが記憶を頼りに絵を描くなどということはコーネルの意に反することでした。
コップを再加工したいわけではないのです。
もっと言ってしまえば、表現をしたいわけではないのです。
これが冒頭の第二項目の「素材を加工せずにコラージュ」する理由です。
再び創造するのではなく、ただ戻りたいのです。
コップがただの「コップ」ではなかった「あの世界」に。
こうして彼の前に「箱」が用意されました。
「仕切る」もしくは「区切る」ための「箱」が。


「仕切り」「区切り」とは、一体何か?
それは、連続した空間の意味を変えることです。
ある部屋に兄弟がいるとします。
部屋には何もありません。
そこへ衝立を持ってきて部屋の中央に置きます。
すると、とたんに部屋は二つに分割され、兄と弟の独立したスペースが出現します。
この「仕切り」「区切り」という概念は日本の文化を研究する際にも非常に重要なポイントになってきます。
話しを戻します。
コーネルの前に置かれた「箱」は、一体何を「区切った・仕切った」のでしょうか。
それこそは「時間」なのです。
神秘に満ちていた幼い頃の世界を箱の中に閉じ込めることによって、神秘が失われた現在から守っていたのです。

存在から「意味」を剥ぎ取ったとき、はじめて「存在」そのものに触れることができます。
私たちが幼い頃、なんでもないコップに感じていた感動は、五感を通じて知覚する「存在」そのものに対する神聖な驚きだったのです
コーネルの箱。
ゴルフボール、コップ、貝殻、針金、これらガラクタが実に調和したリズムを持って、ひとつの小宇宙を作り上げています。
箱の中のガラクタ/小宇宙は、その背後の、存在の神秘へと開かれた「窓」に他なりません。
けっして向こう側に行くことのできない窓。
私たちは、この窓から失われた時を眺めるがゆえに、鋭いほどの「郷愁」「切なさ」を感じていたのです。
それは何と美しい世界だったのでしょうか。
気づかぬうちに喪失したあの無限に広がる世界を、私は楽園と言い換えることに躊躇しません。
最後に音楽を聴いてお別れしましょう。
幼い頃の、あの神聖な感動を呼び覚ますために。
シガー・ロス(Sigur Ros)で『グロウソウリ(Glósóli)』
できることなら、部屋を暗くして、ボリュームを最大にしてお聴きください。
それでは良いお年を。
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